広い意味では京都で造られる豆腐です。 京豆腐の名欲しさに京都に工場を移すメーカーもあります。 狭い意味での京豆腐について、私が思いますに・・・ 京豆腐の名を全国的に有名にするきっかけをつくったのは嵯峨豆腐の森嘉さんです。 戦争を境に豆腐の凝固剤が「にがり」から澄し粉(硫酸カルシウム・・・石膏)に代わりました。 森嘉さんは澄し粉を使って桶の中で絹漉し状に豆乳を固め、布を敷いた深い箱の中にこの絹漉し豆腐を杓で汲み、割らないように層にして積み重ねて固めた豆腐を考案されました。 この豆腐は横に切ればまるっきり絹ごし豆腐で、縦に切れば少し木綿豆腐状と云う、絹ごしと木綿との間の豆腐が出来ます。 これが嵯峨豆腐と云われるものだと思います。 この嵯峨豆腐と同じような手法で中国の安徽省淮南市近郊大泉村も昔から豆腐を造っています。ここの豆腐は凝固剤に硫酸カルシウムを使い、桶の中で絹ごし豆腐を造り、スコップ状の杓で桶の中の絹ごしをすくい、布を敷いた平たいざるの中へ絹ごしを積み重ね、布で包んで石をのせ固めたものです。 この中国の豆腐に比べ、嵯峨豆腐はすばらしい箱入技術をもって日本人に合うよう四角の豆腐にし、まねの出来ないくねくねとしたなめらかさの豆腐に仕上げた点で今までの豆腐の常識をくつがえしました。 この森嘉さんの名声に引きづられて、多くの京都の豆腐屋は桶の中で硫酸カルシウムの絹ごしを造る所までは同じですが、絹ごし状のおぼろ豆腐を杓で汲んで少しブロック状に割り、箱入れして固めると云う手法をとるようになりました。絹ごしと木綿との間の豆腐です。 嵯峨豆腐及びこの豆腐が技術的に見た京豆腐と云われるものです。今は他所の豆腐店も同じようなものを造るところが多くなりました。 現在、技術的に見て全然嵯峨豆腐とはかけはなれた豆腐に嵯峨豆腐の名を勝手に付けて商売をする、他人のふんどしですもうをとる業者の何と多い事でしょう。 嵯峨豆腐、森嘉さんこそ戦後の豆腐ブームの起点、京都の豆腐屋、いや全国の豆腐屋の大恩人かも知れません。 私も森嘉さんの後について一生懸命仕事をしてきました。 当店では、柔らかい豆腐をお好みのお客様にはソフト豆腐(絹豆腐)を。 固い目の豆腐をお好みのお客様には一般の京豆腐より少し固い目の豆腐を浅箱にて製造しております。 また、店頭には並んでいませんが、にがり100%のざらざらした木綿豆腐(昔豆腐)もご注文があれば用意させていただくことが出来ます。三種類とも是非ご賞味下さいませ。 |